愛染院・故郷塚

愛染院

遍光山願成寺という真言宗のお寺で、愛染明王を安置することから「愛染院」と名付けられました。

本堂前には、「一回一誦(いっかいいちじゅ・いちえいちず・いちえいちじゅ)」の石碑が建っています。 一回一誦の石碑の上部の回転部分は『摩尼車(まにぐるま)』または『後生車(ごしょうぐるま)』といい、正法のお経が刻まれた車輪型の経文石板に触れ、一回転させる事でお経を一回読誦(一回一誦)した事になります。更に心を込めて回すと、その回数のお経を読んだ事と同じ功徳がいただけるとされ、また、一心に合掌し誓いや願いを祈りながら摩尼車を回すと、必ず祈願が叶うと信じられています。

松尾芭蕉の生家から徒歩3分のところにあり、代々松尾家の菩提寺とされてきており、境内には、大津に滞在していた51歳の芭蕉が、実家の兄・半左衛門より手紙で郷里に招かれ、伊賀上野に帰郷した際、一家そろって祖先の墓に詣でた折に詠んだ、「故郷の盆会に一族の者と墓参りにでかけた。みな年老いてしまい、杖をつき白髪の者もいる。自分もまた同じように、年をとってしまったものだ。」という意の『家はみな杖にしら髪の墓参り』の句碑が建っています。


故郷塚

伊賀市指定文化財

芭蕉翁は元禄7年(1694)10月12日、旅の途中の大阪で病に倒れ没し、亡骸は遺言により「ふる里のごとく」愛した滋賀県大津市膳所の義仲寺に葬られましたが、訃報を受けた伊賀の門人・服部土芳(蓑虫庵主)と貝増卓袋によって遺髪が奉じ帰られました。二人は形見に持ち帰った芭蕉翁の遺髪を松尾家の菩提寺「愛染院」の藪かげに埋め、標の碑を建て『故郷塚』と称しました。当時の塚から、現在の場所に移されたのは、芭蕉翁50回忌の元文3年(1738)の時と伝えられています。

[住 所] 伊賀市農人町354(愛染院内)
[電 話] 0595-21-4144
[拝観時間] 9:00~17:00
[拝観料] 故郷塚参拝料 200円 (しおり付)
[休業日] なし
[駐車場] あり(約2台)

本堂左手の小さな門をくぐり生け垣沿いの小径を進むと、つき当たりが故郷塚です。茅葺き屋根の小堂の中に高さ70センチほどの自然石の塚があり、碑面は読みにくくなっていますが、門人・服部嵐雪の筆によるもので、中央に「芭蕉翁桃青法師」・右に「元禄七甲戌年」・左に「十月十二日」と刻まれています。

翁の没後、伊賀の門人たちは毎年10月12日にここで「しぐれ忌」を催し追善し、その志は今日まで連綿と続けられています。ここには文豪尾崎紅葉や川端康成をはじめ多くの文人墨客が参詣されており、今も香煙の絶え間がありません。

▶ 芭蕉祭

「数ならぬ 身となおもひそ 玉祭り」  はせを


▶  芭蕉のふるさと