橋本策生誕地碑

橋本策生誕地碑

[住 所]伊賀市御代 偕楽荘跡地(胸像は愛田地区)

橋本策(はしもと はかる)は、明治14年(1881)5月5日、四代続いた医師の家系の橋本謙之助・りゆ夫妻の三男として旧伊賀町御代に生まれました。

ハシモト病を発見した世界的な医学博士である橋本策は、第一中学(現・津高校)から京都帝国大学福岡医科大学(現・九州大学医学部)に進み、大学卒業後、特異な甲状腺腫を発見し、「ハシモト病」と命名されました。
大正5年(1916)家業を継いで郷土で橋本病院を開業し、地域医療に貢献しました。
名声は知れ渡り、県下はもとより近隣府県からも患者は列をなしたと言われています。高い技術力と誠実な人柄で多くの人に慕われていましたが、昭和9年1月9日、腸チフス感染がもとで自宅で急逝、享年52歳、現在は菩提寺専念寺(写真右下)に眠っています。

かつて橋本病院があった場所に『橋本策生誕地碑』が建てられています。
この碑の横に端午の節句にちなんだ芭蕉の句「笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟」が建てられているのは、橋本策の誕生日が5月5日であるからでしょう。

彼の遺品は、「柘植歴史民俗資料館」(2020年3月31日をもって閉館)に寄贈され、博士愛用の机や顕微鏡のほか、3人の息子から寄せた手記が展示されている。

橋本策胸像

また、愛田地区には胸像が建てられており、出身地である伊賀市御代地区では毎年4月、顕彰式典が行われています。


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