忍者にまつわるスポット

伊賀市には忍者にまつわるスポットが数多くあります。
天正伊賀の乱のゆかりの地についてはコチラ

千方窟

4人の荒法師(金鬼・風鬼・水鬼・穏行鬼)を部下に従えた豪族・藤原千方将軍が朝廷に反乱を起こした際に立てこもり激しい戦闘を繰り広げたと伝わる岩城。
4匹の鬼が「忍術の祖」であるとして伊賀南部や奥伊勢地方で今なお語り継がれている。

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手力神社

三大上忍の一人・藤林長門守の氏神で天手力雄命(アメノテヂカラオノミコト)を御祭神としています。
毎年10月17日には伊賀で一番遅い奉納煙火があり、火術・火筒・狼煙などの火の術を得意とした長門守が奉納したのが始まりとされます。
また、本殿には数百年分の祈願布が結び付けられた約2tに及ぶ日本一重い「鈴の緒」があります。
伊賀忍者回廊のご朱印あり(セルフ式)

手力神社の奉納花火大会(秋祭)


正覚寺・藤林長門守墓所

伊賀の三大上忍と呼ばれ、火の忍術を得意としていた藤林長門守が城館を構えたところで、この墓石は正覚寺から300mほど東側へ行った藤林長門守城館跡から大正7年(1918年)ころにこの地に移設したもので、長門守一族21基が並んでいます。
中央の『本覚深誓信士』と刻まれた墓碑が初代・藤林長門守の墓石です。
伊賀忍者回廊のご朱印あり(セルフ式)


御斎峠(おとぎ峠)

天正10年、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀から逃げる際に、徳川家康が伊賀衆と甲賀衆に守られて通ったとされる峠で、小説「梟の城」の冒頭シーンの舞台にもなりました。
近くの高旗山山頂からは、伊賀上野の城下町が一望できます。


服部半蔵生誕の地

服部半蔵正成は、徳川家康に仕え、「鬼の半蔵」の異名を持つ、最も有名な三大上忍の一人です。
服部半蔵の父・服部保長が当地に移り、地名の千賀地を姓として城を築いたといわれる「千賀地城址」に、半蔵の生誕地碑が建っています。


敢国神社

伊賀一宮である敢国(あえくに)神社は服部氏の守護神である少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られています。天正伊賀の乱で焼失してしまいましたが、伊賀の修験者 小天狗清蔵により復興しました。
服部氏の祭りとして盛大に行われていた「黒党(くろんど)まつり」を復興し、現在は伝統忍者集団黒党による奉納演武と手裏剣体験等行われています。
※「黒党まつり」とは神事に従事する者が服部一族に限られ全員黒装束に身を固めることが厳格に守られる奇祭として知られています。
伊賀忍者回廊のご朱印あり(染筆式)

伝統忍者集団黒党

黒党まつり   
 2023年11月23日(木・祝)
 11:00~新嘗祭・黒党祭

敢国神社の獅子神楽


百地氏城跡

百地丹波守は戦国時代には北伊賀地域の有力な土豪として知られており、この城跡は丘陵の尾根を利用してつくられたもので、最も山寄りの郭(くるわ)から現在の青雲寺まで含めると長さ250m、幅は最も広い所で60mで市内でも有数の規模となります。
この砦近くには式部塚と百地家菩提寺の青雲寺があり百地家代々の墓があります。
青雲寺には伊賀忍者回廊のご朱印(セルフ式)あります。
※観光客向けのトイレはありません。


式部塚(しきみ塚)

三大上忍の一人・百地丹波守の愛妾・式部に嫉妬した本妻は、丹波の弟子に命じて、式部を井戸に投げ入れさせ、後に本妻も同井戸に身を投げました。
それを知った丹波が、井戸を埋め塚を造り、樒(しきみ)を植えて二人を弔った事から「しきみ塚」とも呼ばれています。
ここに剃刀やハサミを供えると悪縁が切れるという云い伝えがあります。
また、この近くには多数の夫婦地蔵がありますので、悪縁を断ち切り、良縁を結んでみてはいかがでしょうか?


上記の他にも忍者にまつわるスポットはあります。
伊賀忍者回廊ご朱印めぐりもございますので伊賀忍者にゆかりのある伊賀市、名張市の神社・仏閣をめぐってみてはいかがでしょうか?


忍者のふるさと