横光利一文学碑

横光利一文学碑

 

[住 所]伊賀市柘植町1706

『日輪』で文壇に登場し、「蠅」や「機械」「紋章」「旅愁」、また横光利一本人の体験をもとに執筆された「春は馬車に乗って」など多くの代表作をもち、川端康成と共に新感覚派の旗手とされる横光利一

伊賀市柘植町にある「柘植歴史民俗資料館(2020年3月31日をもって閉館)」の脇の小道を入ると、彼がよく登って物想いにふけったという小さな丘に利一が最も好んだ「蟻台上に飢えて月高し」の句を刻んだ文学碑と、川端康成による解説文碑が建てられています。

横光利一(本名・よこみつ としかず)は、明治31年(1898)3月17日、福島県会津若松市で父・梅次郎と母・こぎくの長男として生まれましたが、明治37年(1904)6月、父が軍事鉄道敷設工事のため朝鮮へ渡ることとなり、母の故郷である三重県阿山郡東柘植村(現・伊賀市野村)に戻り、小学校1年から4年までの多感な小学校時代の大半を過ごしました。

親友故澤井善一氏に宛てた手紙でも、「やはり故郷と云えば柘植より頭に浮かんで来ません」と柘植への慕情を記しています。

明治42年(1909)に滋賀県へと移りますが、明治44年(1911)13歳で三重県第三中学校(現・三重県立上野高等学校)へ入学します。

後、大正12年小説家として文壇にデビュー、川端康成と共に新感覚派運動を展開し、ついで新心理主義文学に移りました。


横光公園

また、横光利一生誕100年記念として整備された横光公園には「洋燈」のモニュメントがあり、春には桜に囲まれます。


横光利一跳ね釣瓶の庭

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