「薪能」は、毎年9月から11月に開催されるお城まつりの行事の一つとして
昭和59年から行われています。
上野城本丸広場に一夜限りの特設舞台が設営され「能」や「狂言」をお楽しみいただけます。

 

第35回 上野城 薪能

【日 時】 平成30年9月22日(土)午後6時開演

【場 所】 上野城本丸広場 特設舞台
     (雨天の場合 伊賀市立上野西小学校 体育館)

     入場無料・お茶席あります(有料)

『大蔵流 狂言』 蝸 牛(かぎゅう)   茂山宗彦

[解説]羽黒山の山伏が大峰・葛城の修行を終えて帰国の途中、藪の中で休んでいると、主人に蝸牛をとってこいと命じられた太郎冠者に蝸牛と間違えられる。山伏は蝸牛になりすまし、その特徴も示してみせる。主人のところへ同道しようという冠者に囃子物(はやしもの)を教え、二人で囃して浮かれる。迎えに来た主人は驚き、蝸牛ではないと注意するが、その主人も囃子物のリズムに釣り込まれてしまう。

『観世流 能』  小袖曽我(こそでそが)  武田邦弘

[解説]時は鎌倉時代。曽我十郎祐成(すけなり)と五郎時致(ときむね)の兄弟は、源頼朝が富士の裾野で行う巻狩(まきがり)に潜り込み、父の敵である工藤祐経(すけつね)を討とうと決心します。
そして、兄弟は最後の暇乞い(いとまごい)と時致の勘当を解いてもらうために母のもとを訪れました。しかし、母は祐成の来訪には喜びましたが、出家せよという母の命令に背いたため勘当された時致には対面を拒み、許そうとはしませんでした。
祐成は情に訴え、理を分けて説得しましたが許されず、兄弟は泣く泣く立ち去ろうとします。母は立ち去る兄弟の後ろ姿を見て、ついに時致を許します。
兄弟は喜びの舞を舞い、勇んで敵討ちへと出発します。
この演目は「日本三大仇討ち」の一つとされている、鎌倉時代の曽我兄弟の敵討ちを題材にしたものです。
「三大仇討ち」とは
一、曽我兄弟の富士の裾野の仇討ち
二、鷹の羽を紋所とする赤穂浪士の仇討ち
三、荒木又右衛門の伊賀の仇討ち といわれています。

  • ゴザ席・イス席とも充分ご用意いたしますが、立見になる場合もございます。
  • 上演中の飲食はご遠慮ください。
  • フラッシュ撮影は禁止です。スマホのライト等も点灯しないようにご注意ください。
  • お車でお越しの方は市営駐車場をご利用ください。

▶上野城お城まつり

【問合せ】 伊賀市観光戦略課 0595-22-9670 (平日)
      上野城 0595-21-3148 (土・日・祝・当日)

 

<能>観世流 武田 邦弘

 

昭和39年より片山幽雪師(人間国宝)に師事
昭和46年独立
初舞台 昭和25年「船弁慶」子方 
以後「乱」「石橋」「道成寺」「砧」「翁」「卒塔婆小町」「正尊」「鷺」
など披曲
京都・名古屋観世会会員
日本能楽会会員 重要無形文化財能楽(総合指定)保持者
         武田謳楽会、翔の会主宰
         昭和57年より当地・伊賀市にて謡曲指導

 

伊賀市は能楽創世観阿弥生誕の地

 

観阿弥清次 -かんあみきよつぐ- (観世一世)

 観世流の始祖・観阿弥の出生は元弘二年壬申五月(1332)伊賀国(現伊賀市)
上島次郎左衛門元成(もとしげ)の三男として生まれたとされる。母は河内国南朝の忠臣・楠正成の姉または妹とされる。
 大和猿楽四座の一つ結崎座を結成、後に猿楽に田楽能、曲舞等の長所を取り入れ、能の音曲を改革して能の基礎を確立した。故に能祖と称せられる。
 元中元年(1384)駿河国一之宮、浅間(せんげん)神社に於いて演能中に謀殺される。(五十二才)

 

世阿弥元清 -ぜあみもときよ- (観世二世)

 世阿弥元清は、正平十八年(1363)父・清次の次男として伊賀国(現伊賀市)にて誕生、母は伊賀国小波多(現名張市小波多)竹原大覚法師の娘である。
 元清は父・清次の跡を継いで観世流(結崎座)を統率し、卓越した曲、能楽論を多く残して猿楽を大成した。
 元清の作品は沢山あるが、「老松」「高砂」「井筒」「砧(きぬた)」などは作品中の圧巻であり、現在も評価が高い。

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