旧本陣

旧本陣

 

東海道関宿の西の追分から伊賀を通り、松原(現東大阪市)にいたる道は、加太越奈良道(大和街道)と呼ばれ、当時重要な街道として賑わい、幕末動乱に伴う人馬の往復の際は、かなりの人数が宿泊をしたそうです。

[住 所]伊賀市島ヶ原(町区) 町集議所の近く

本陣とは江戸時代以降の宿場の事で、大名や旗本、幕末役人、勅使などの宿泊所として指定された家の事です。原則として一般の者を泊める事は許されていませんでした。

この旧本陣は寛文2年(1662)から寛政5年(1792)の間、松平斐守(柳沢吉里大和郡山藩主)をはじめとする数多くの大名たちが宿泊、休憩しました。現在は個人の住宅となっていますが、最も格式の高い部屋だった上段の間や、狩野派の屏風絵、山岡鉄舟筆の襖絵、諸大名の宿札などが当時のまま大切に保存されており、伊賀、大和、山城への従来の要衝であったことをうかがわせる資料が多く残っています。

高位な人達が使用した本陣は、ここが大和街道の宿場町であったことを今に伝えています。

 


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